Twitter / 佐藤亜紀 (via yuco)
perl プログラマの三大美徳(怠惰、傲慢、短気)を発揮すると、やっぱモテんわなあ。
(via raurublock) (via yashlu)
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perl プログラマの三大美徳(怠惰、傲慢、短気)を発揮すると、やっぱモテんわなあ。
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1.教える内容を見直すこと
教える内容を入念に準備する。ただし、完璧な準備はしないことです。完全な準備にこだわるのは「教える人に対する恐れ」でしかありません。準備しすぎると硬くなります。気負わず、肩の力を抜いて気楽になることも大切です。
2.教える構成に気を配ること
一方的に思いのまま話しても、教わる側の理解は進みません。まず順序や構成に気を配り、教える内容へのハードルを下げる必要があります。理解が進まなければ、あっという間に教わる側は気をそらしてしまいます。つまらなければ退屈し、飽きてしまいます。教わる側の耳をこちらに向けるための仕掛けは必要です。
3.教えるとはコーチすること
学ぶのは、あくまでも教わる人です。代わりに学ぶことなど出来ません。いきなり知らない所から話しはじめても理解できるわけがありません。教わる人の場所を知り、そこから少しづつ導いていくという観点が必要です。学ぶ内容の全体像を教える=大きな地図を描いてそれぞれのチェックポイントを指し示すことも重要です。
4.すべてを教えないこと
教える側がすることは、教わる側が理解できる入り口に立たせてあげることだけです。自分で理解することこそが喜びに繋がり、次のステップのエネルギー源になるのです。先取りしてすべてを教えることは、そのエネルギーを奪うことに繋がります。自分の目で見て、自分の足で歩いていると感じることが教える時に一番大切な事です。
5.的確に褒めること
教える=褒めることです。いくら褒めても褒めすぎることはありません。気をつけるのは卑屈になったり媚びたりして的外れな褒め方はしないことです。教わる側は見抜いています。褒めるべきを褒めることです。
6.気持ちよく失敗させること
バカにすれば教わる側は簡単に「わかったふり」をし始めます。分かったふりほど教育の妨げになるものはありません。安心して失敗させることが大切です。失敗しきれていない部分があることも多いので、内容だけではなく方法にも気を配り本当に疑問を解消できているかを確認することも重要です。
7.いつまでも教えないこと
教わる側がいつまでも教える側を必要とするのは健全ではありません。教わる側が自分を必要としなくなるように教えることが大切です。いつまでもいつまでも同じように教えを請わざるを得ないのは、教え方が誤っています。教える側は常に、慕ってくれたり、必要とされるのがうれしい気持ちを乗り越える必要があります。
教える側は、教わる側を枠に閉じ込めてはいけません。自分の範囲内に留めてしまってはせっかくの才能を潰すことにも繋がります。自分が不要になったことを喜ぶ気持ちを忘れてはなりません。
もはや教えることは何もない。
教える時に気をつける7つのこと - keitaro-news (via hustler4life) (via yaruo) (via ipodstyle) (via tnoma) (via kml) (via shigesa)予算も増えず人も増えない中でもできること、と問われて私に思い浮かんだのは
「学校でなるべく嘘を教えない」ことくらいでした。
だからそれをお話しました。
学校で習った「人の道」っていうのは役に立たないことが多いです。
社会に出たてのころは、学校で習った嘘を解毒するのに手間がかかります。定型発達者でもね。
なんというか、学校限定ルールから一般社会ルールへの再インストール作業が必要なんですが
自閉圏の人にとって、この再インストールっていうのは大変なんじゃないかと思います。
それができなくて、引きこもっちゃうともったいない。
私の考えでは
学校で教える「三つの大嘘」は以下のとおりなんですけどね。
1 金儲けは汚いこと
2 誰とでも仲良く
3 多数決は正しい
この三つを生徒に埋め込まないだけでも、社会に出て生きやすくなるでしょう。
この三つを信じてしまうと、社会人生活はかなりきつい。
通常クラブの場合、風営法で現行犯だった場合、DJは99%逮捕されます。
(特に摘発瞬間にPLAYしている人)
警察官や教員になりたい大学生でDJやってる人は気をつけて下さいまし。
しかし今回は奇跡的にDJは誰も逮捕されなかったとのこと。
とても安心しました!!
けど知人はMacBook押収されたらしい(音楽をかける本体のため)。
わけわからん。
摘発の真相!?|GEEK OFFICIAL BLOG 「社会の窓があいてるぜ」Powered by Ameba (via shimizusaki) (via maezono) (via gkojax) (via kml) (via diex) (via neknee) (via ikumikumi) (via shinobixx)■東京の合唱
若い人たちが東京に憧れなくなったのだという。東京に求心力がなくなり、若者は「ジモト」を志向している。いい傾向だとおもう反面、そんな話を聞くと、わたしは自分だけがやけに歳を取ってしまったような気がしてならないのである。わたしは、みっともないくらい東京に憧れていた。
東京へいきたい。高校生のわたしは、それだけを生きるよすがにしていた。かっこいい東京。いや、わたしの東京への憧憬は、「憧れていた」などと過去形で語れるようなしろものではない。わたしはいまだに、東京に憧れているのだ。東京に住んで十九年。もうそろそろ飽きてもいいころだが、わたしの憧れは続いている。
たとえば、上京して十七年目のこと。わたしはついに、かねてからの希望であった、都内のとあるおしゃれタウンに越すことができた。たくさんの若者が集うことで知られる、音楽とファッションと文化の街。わたしはついに、おしゃれタウンの住人となったのだ。このときの満足をどう表現すればいいのか。家賃もいくぶん高めではあったが、わたしの定期券には、おしゃれタウンの駅名が刻まれている。やったー。それだけで、心がすっと宙に浮くようであった。
しかし、考えてみてほしい。街とは人が生活をする場である。こんなにうわついた、いいかげんな気持ちで日々の暮らしがたちゆくのだろうか。もし仮に、結婚して十九年、いつまでたっても嫁に憧れている男がいるとすれば、それはただのばかものである。「ああ、なんてかわいい子なんだ、俺なんかにふりむいてくれるかなあ」などと、嫁の後ろ姿に狂おしく悶える男。嫁に片想いする旦那。いいかげんにしろといいたい。いつまで憧れているのだ。
ことほどさように、わたしはいまだに東京に憧れており、つまりわたしはいっけん東京に住んでいるように見えるけれども、住んでいるのは肉体だけであり、精神は実家の六畳間に置いてきたままなのではないかと感じるのだ。きっとわたしは、まだ上京していないのである。
2009-01-20 - 空中キャンプ (via sociologbook) (via yuco)